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THE VICINITY OF IZUMO

2021年6月6日日曜日

魚を飼う4(思い出編)

先月末、ストックヤードに置いていたメダカ池を屋外に戻しました。2度ほど氷が張った冬の間、メダカ達はじっと耐えていましたが全匹無事越冬しました。そしてリビングに置いている水槽はヒーターが入り冬でもポカポカと思いきや・・中国製の安物デジタル水温計が壊れていたせいで結構長期間適温を5℃オーバーする灼熱状態。こちらも全匹無事だったけれど申し訳ない事しました。

リビングには昨年までカウンターと部屋の角の2カ所に水槽を置いていましたが現在は一つに集約、水草も殆ど手入れの要らないアヌビアス・ナナだけにして管理を楽にしました。以前のワタシだったらどんどん水槽を増やしているかもしれませんが、今では昔ほど熱帯魚にかける情熱も無くシンプルなのが一番になりました。で、ここからは熱帯魚についての思い出話しですが、大したハナシでも無いので興味のある方だけお読みください。

ワタシが最初に熱帯魚と出会ったのは、今は無き出雲一畑百貨店の大食堂横にあった熱帯魚売り場。当時小学校の低学年で色とりどりの熱帯魚に見とれてしまいました。そして本格的に飼いだしたのは前々職の国鉄バスで技術系の仕事をしていた20代の頃、場所は岡山です。最初のうちは市内の熱帯魚屋さんに行っていたけれど、そのうち郊外の田園地帯にある古くて大きな養魚場に行くようになりました。敷地内にある生け簀では錦鯉が泳ぎ、長屋風の建物に並んだ水槽には高そうな金魚、そして隣の倉庫みたいな建物には熱帯魚の水槽がずらっと並んでいます。

そしてかなり熱帯魚に凝っていたワタシはワリと頻繁にそこへ行き、たまには他のお客さんの世話をしていました。そのうちアルバイトのハナシも出たけれど国鉄職員だったためそれは断念、ただ「この養魚場で正式に働こうか」なんてほんの少しだけ考えたりもしたので当時は相当熱帯魚にのぼせていたんですね。やがて職場は国鉄からJRへ、ワタシはその後広島へ転勤したので養魚場へ行けなくなったのと同時に熱帯魚を飼うのもやめました。そしてそのまた数年後には東部高等技術校への就職のため出雲へと帰ってきたワケです。

それからずいぶん長い月日が経ち、たまたま岡山へ行く用事があったので懐かしさもあって養魚場に立ち寄りましたが、生け簀は全部干上がっているし熱帯魚の建物は水槽が全て撤去されてガランとした空間に、どうも廃業された様子でした。ワタシはストーブが焚かれて冬でも蒸し暑く、ブクブク空気を送る音がする薄暗い建物内の様子を思い出して少し寂しくなりました。

あっ、思い出に浸っちゃいました。そういえば同じ時期に少し年上で熱帯魚屋さんを開いた人がいたなあ、元々国鉄で電気機関車の運転士をしていた人だけど元気にしておられるかなあ。当時は全国的にも結構な熱帯魚ブームだったけれど熱帯魚への関わり方は人それぞれ、今自宅にひとつだけの水槽を眺めていると思いっきり凝っていたあの頃を懐かしく思い出します。写真は当時の養魚場、上が生け簀で下が熱帯魚の建物の中です。