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THE VICINITY OF IZUMO

2021年1月31日日曜日

小型セパレートステレオ その後(その2)

レコードプレーヤーが壊れた小型セパレートステレオ、やっぱりプレーヤーが欲しいのでいろいろと物色していますが、カートリッジは交換できた方がいいし、トーンアームもしっかりしたのがいいしで、そうなってくるとやはり結構な値段が。ここは中古や壊れたプレーヤーのベルトドライブ化なども視野に入れて考えていきます。

ただレシーバーの上には壊れたレコードプレーヤーが置いてあるだけっていうのも虚しいので、新しいのを入手するまでCDプレーヤーでも置こうかと考えました。ただ使っていないCDプレーヤーは小さくて奥行きも無く、これを置いたのではレシーバのレトロな雰囲気が台無しです。そこで他にないかな~って考えましたが・・・ありました。それは何か有効活用できないかと捨てずにいたCDもかかるアナログ放送時代のハードディスクレコーダー。これでCDをかけたことは無いので、ピックアップの劣化も無いハズです。

さっそくストックヤードから引っ張り出してきてレシーバーの上に置いてみたところサイズはドンピシャ、ただ天板がシルバーで無粋な感じです。そこでたまたま持っていた木目シートをキレイに貼り付けたところ、レシーバーと共に1970年代っぽいいい感じになりました。う~ん、この雰囲気なら無理にレコードプレーヤーでなくてもいいかなあ。まあしばらくの間、ステレオ部屋のラックに入れたまま普段ほとんど聴かないCDをこれで聴いていきましょう。ただ内部では用も無いのにハードディスクが回っていますが、これの配線を外したら何故かCDまでもが動かなくなるので勝手に回らせています。

これはこれで、なかなかレトロな雰囲気。 

その他 昔使っていたレシーバー
なぜかモノクロですが判りにくいので大きめの写真で、学生時代に住んでいたアパートのオーディオ達です。中央が前に書いたデノンのレシーバー、左にあるカセットデッキの上が今回壊れたマイクロのプレーヤー。

2021年1月27日水曜日

小型セパレートステレオ その後

今日はポカポカといい陽気、ただワタシの心は昨日の冷たい雨のように冷え切っています。その理由は、突然レコードプレーヤーが壊れたから。昨年末に設置したレコード鑑賞用の小型セパレートステレオ、マイルームにある手軽さから夕食の後などにワリと聴いていて、そのうち日記にレコードに起きる「静電気」と「針の寿命」について書こうかな、なんて思っていた矢先の出来事です。

このプレーヤーは40年ほど前に大阪の電化街「日本橋」で買ったもので、クオーツの発振によって回転数を一定の速度にロックする当時としては最新鋭の物だったんですが、肝心のクオーツロックが効かなくなり、回転が上がったり下がったりで聴くに堪えません。一応修理は試みたものの、できることといえば基盤についている可変抵抗をドライバーでグリグリ回してみるぐらいで、こんなんじゃ直りっこありせん。まあモーターそのものは生きているのでコンデンサーやトランジスタを全部交換するとかクオーツを交換するなんて手もありますが、今のところはそこまでの気力も無いので寿命ということであきらめましょう。

さて今後ですが、レコードはステレオ部屋でも聴けるのでこの小型セパレートステレオを全て撤収してもいいんだけど、レコードをマイルームで聴くのが好きになってしまって。そうなると代わりのレコードプレーヤーってことになりますが、新品でも安いのはオモチャみたいだし、中古といえばやはりかなりの年月が経ったようなものが多いし・・・もうしばらく悩んでまた結果を報告します。先日アマゾンで1,800円程のどう考えても安すぎる針付きカートリッジを買ったのでこれもレポートしたかったけど、その前にプレーヤーですね。

最後にせっかくなのでレコードの紹介です。冬の夜に聴くのはやはりピアノとかが良く、ジャズではウィントン・ケリーさんやビル・エバンスさんなどを聴いていますが、小雪のちらつく日には前にも書いたデューク・ジョーダンさんのアルバム「フライト・トゥ・デンマーク」がイチオシ。特に3曲目のスタンダード「Everything Happens to Me」などはもう真っ白な雪の中に溶け込んでしまいそうな調べで、ワタシはそれを聴きながらそのままコタツの中に溶け込んでいきます。ああ、プレーヤーを何とかしてまた溶け込みたい。

「フライト・トゥ・デンマーク」、ジャケットの雪景色も素敵。

2021年1月24日日曜日

バラ寿司を作る

先日の「いなり寿司」に続き今度は「バラ寿司」を作りました。具を酢飯の上に散らしたのを「ちらし寿司」、具を酢飯に混ぜ込んだのを「バラ寿司」というそうですが、ワタシが作ったのは高級食材を一切使わないケチさ全開の「貧相バラ寿司」です。

炊き立てご飯に寿司酢を混ぜて酢飯を作るところまではいなり寿司と一緒、実はいなり寿司を作るために買った寿司酢がまだいっぱいあるので、これをなんとか早めに使い切りたいというのも今回バラ寿司を作った理由です。このパターンでたまに「あの食材」を使い切るために「この料理」を作り、「この料理」を作るのに足りなくなってまた「あの食材」を買ってしまうという無限ループが起きますよね。ワタシはこのことを「食物連鎖(たべものれんさ)」と名付けましたが、今回はこれにならないように気を付けます。

酢飯が完成したところで後は具を混ぜるだけですが今回の中身はというと「例のいなり寿司のアゲを刻んだの」「カニカマをほぐしたの」「刻み紅ショウガ」で後は「錦糸たまご」と「刻みのり」です。貧相でしょう。いろどりにインゲンを刻んで入れようと思いましたが高かったのでヤメにしました。そしてその甲斐あって製作費は「永谷園のすし太郎」の半分以下、ただカミさんは大いに不満そうなので、また特別な日でもあればエビとかを入れてちょとだけ豪勢にしましょう。

見た目はともかく味はバッチリ。




2021年1月20日水曜日

あの時の神戸

そうかあ、阪神・淡路大震災から今月17日でもう26年経つんですねえ。でもあの時のことは今でもハッキリと覚えています。ワタシはまだ転職して東部高等技術校に勤める前で、広島市にある中国JRバス本社の人事課にいました。そして地震によって公共交通機関が壊滅的な被害を受けたので、鉄道代行などの「災害派遣」要請が入り、ワタシは乗務員の勤務調整担当として神戸に赴きました。

出発当日、当時本社の真向かいにあった広島営業所には、各営業所からかき集めた十数台のバスが集結。そして社長をはじめ本社社員総出の出発式が行われた後、ワタシはダイヤを担当する乗合課の課員と共に先頭のバスに同乗して神戸を目指しました。中国自動車道は途中から一般車はシャットアウト、ワタシたちは災害派遣ということでチェッカーズのような髪型をした高速隊の若いお巡りさんが運転するパトカーの先導で進み、西宮北ICから有馬温泉のあたりを超え、物凄いカーブが続く狭い山道を一気に下って神戸入り。そしてそこで見たものは・・・もうひど過ぎて膝が震えました。実際自分の目で見る光景はTVのニュースで間接的に見るのとは全く違っていて、今でも忘れることができません。

バスは崩れ落ちた神戸の街中を進み、障害物をよけながらも集結地点に全車無事到着。その後ワタシはここまで先導してくれたパトカーを見送り、西日本JRバスの担当者との打ち合わせを済ませてから用意してあった宿舎に入りましたが、そこでも度重なる余震で生きた心地がしません。そして一週間程度滞在した後に交代が来たので広島への帰路につきましたが、新幹線も山陽本線も不通のため宝塚線→福知山線→山陰線→播但線と乗り継いでやっとの思いで姫路に到着、そこから新幹線で広島に帰りました。

以上ワタシが阪神・淡路大震災の災害派遣に赴いたハナシですが、その後起こった東日本大震災を始めとする地震やほぼ毎年発生する水害、そしてそれらの災害で今もつらい思いをされている方がおられます。人命が最優先なのはもちろんですが、頑張って建てた家がペシャンコになったり流されたりしたら、ワタシはもうそれだけで立ち直れないかもしれません。

余談・出発式で
ワタクシ災害派遣ということで緊張感を演出する必要があると考え、バスに乗り込む直前に持ってきたヘルメットをかぶり「スーツに黄色いヘルメット」というスタイルで一番前の席に座りました。そして大勢が見送る中を車内からビシッと敬礼して出発したワケですが、神戸から帰ってから聞いたハナシによると、どうもワタシの顔とヘルメットとのバランスが違った意味で絶妙だったらしく、厳粛な雰囲気だった出発式がその後爆笑の渦に包まれたそうです。昨年会ったJRバス島根支店の副支店長さんからもこのハナシが出ましたが、当時彼は他の営業所勤務でその場にはいなかったので案外このことは中国JRバス社内で伝説化しているかも・・・でも決して狙ったワケではありませんよ。

当時のワタシ。今回の内容には場違いだけど、こんな写真しか無いのですみません。

2021年1月16日土曜日

ペヤング再挑戦

さてと、昨年あまりの辛さのため完食できなかったペヤングの「獄激辛焼きそば」にヨーグルトと牛乳を携えて再挑戦です。何でそんな意味の無いことをするのか?って言われそうだけど、やはり「残してしまった」というのはワタシの食べ物人生的に何かスッキリしないところがあってというのはウソで、要はヒマなのです。ただ前回完食できなかったのはカミさんが出したドクターストップのせいでもあるのでできれば一人で挑戦したいけれど、食べている最中何か異変が生じた時には助けてもらう必要があるので、やっぱりいてもらわないと困るワケです。

しかし自分一人しかいなくてヤバかったといえば、思い出すのは今の自宅の新築時のこと。特注したステレオ部屋専用アース配線の末端が床下でどうなっているか気になっていたけれど、引き渡しが終わるまでの間、途中数回ある立ち合い点検の時以外はいくら施主でも入っちゃいけない決まりになっていました。そして仮設の玄関ドアには作業時間以外厳重にダイヤル錠がかけられています。で、ワタクシどうしても気になって顔なじみになった水道業者の若いお兄さんに聞いたらあっさり錠の番号を教えてくれたので、深夜家族にも伝えず懐中電灯だけを持って完成まじかの家に忍び込みました。

あっ、何かハナシが思いっきり脱線してますね、まあいいか。そして事前に把握していたキッチンの床下収納を外してそこから床下に入り、基礎の所々にある開口部(人通口というらしい)をくぐり抜けながら家屋北側のアース処理最終地点へと向かいました。自宅の場合厚めのベタ基礎で施工されているため床下の隙間がやや狭く、立膝なんか到底無理で当然匍匐前進です。で、ズリズリと進んで行ったのですがなぜか一か所だけ他より開口部が狭いところがあり、そこを無理にくぐろうとしたら途中で腹がつかえてしいました。そしてどうあがいてもそこから後にも先にも進めなくなったので焦りに焦ったうえ絶望的な気分になって懐中電灯も消し、真っ暗闇の中で「このまま抜けられなかったらワタシは謎の失踪をしたってことになるんだよな~、そして数年、いや数十年後に白骨化したワタシの死骸が床下から発見されるんだよな~」なんてことをしばらく考えました。そしてフと我にかえり「いやダメだ、ここでは死ねない」と渾身の力を込めて前進したところ、服のボタンを引きちぎりながらも何とか脱出に成功。その後目的地点で確認を済ませた後、別ルートを通って無事キッチンへの生還を果たしたのでした。

まあ考えてみればあのまま動けなくてもすぐに発見されただろうけれど、あの極限状態ではそこまで頭が回りませんでした。ちなみに引き渡しが終わるまで施主でも勝手に入れないのは屋内に不具合箇所があった場合の責任の所在を明確にするためという理由ですが、こんなバカなことをしでかす施主がいるからというのもあるかもしれません。

ハナシが長くなったので「獄激辛焼きそば」の件はおもいっきり端折りますが、やはりブフォッ!となりながらも食前・食中とこまめに飲んだ牛乳が功を奏して今回は完食しました。ただもう二度とこの「凶器」レベルの危険な物を食べようとは思いません。しかしこんなに辛くても需要はあるらしく、コスモスでは常時販売されています。

棚には常にいっぱい。

2021年1月10日日曜日

ニセ鑑定

しかし寒いですね、去年はここまででも無かったような、なんか久方ぶりの真冬の寒さって感じがします。ところで先日1月7日は「松の内」終わりの日。地域によっては1月15日とするところもあるようですが、ワタシはこの日に玄関扉に飾ったしめ縄を外しました。そしてもうひとつ仕舞ったのが玄関の棚に飾った郷土出身の漫画家、平野勲先生による「吉兆さん」の絵。そう、普段あれほど新春行事の吉兆さんを面倒臭がっているワタシですが、お正月にはしめ縄と共に縁起の良さそうなこの絵を飾ることにしています。平野先生の絵は地元のポスターや企業のカレンダーなどに度々登場しますが、ワタシの保有しているプロによる作品はこの絵だけなので大切にしています。

ところで絵に限らずですが「なんでも鑑定団」などTVの鑑定系番組を観ていると何とニセ物が多いこと、世間には本物に対して何倍のニセ物が出回っているのでしょうか。ただそう言うワタシも適当なニセ鑑定?で申し訳ないことをしたことがあって、それは松江市宍道町にある美術品などを収蔵した蒐古館(しゅうこかん)でのこと。以前ここの広場では年に数回骨董市が開かれていて、ワタシも学生時代からの友人と出かけて行っては得体の知れない物を見つけて喜んでいました。そしてある時古い木箱に入った大量の小皿が出ていたので、ワタシは知らないオバサンと一緒にそれを見ていたんです。そして知識など全く無いけれどそれっぽく見えたので適当に「伊万里ですよね?」って聞いたらそのオバサンが「ああやっぱり!ワタシもそう思ってました」って言われたのでまた適当に「なかなか伊万里でもこんな図柄は珍しいですよね」って言ったらそのオバサン「でしょ!ワタシも同じこと思ってました」と言って、その後その大量の小皿をごっそり買って帰られました。いくらで買われたのかはわかりませんが、ワタシとの適当なやり取りだけで小皿を買う決断をされたかと思うとホント申し訳ない、イヤあの小皿、実は本物の古伊万里でオバサン大変結構な買い物をされたのかもしれません。

あともうひとつ。高校生の頃、あるアイドル歌手が好きな同級生がいてどうも練習していたらしく、ウチにあった新しい色紙にマジックでさらさらとニセのサインを書きましたが、後日遊びに来ていた兄の友達がたまたまそのアイドル歌手の大ファンだったようでサインを見てすごくビックリしていました。そして「あげますよ」っていったら「本当にもらっていいの?」って無茶苦茶興奮した様子だったのでホントのことを言い出せなくなり、兄の友達はそのまま感激しながらニセのサイン持って帰られました。その人とはその時が最後でもう会うことも無いだろうし、この日記を見られることも無いと思うのであの時言えなかったホントのことを書いちゃいました。もし今でも大切にされていたとしたら心の底から謝ります。本当にごめんなさい。



2021年1月6日水曜日

電子レンジ突沸

一昨日のこと。牛乳を加えたコーヒーを電子レンジのオートで温めていましたが、結構長い時間がかかりやっと終わったのでドアを開けたところ、もうもうと湯気が立ち上がり庫内はあふれた熱いコーヒーでビショビショだったのでビックリ、すぐに濡らしたふきんで後始末しました。前にも沸騰したことはあったけれどここまでなったのは初めてだったのでネットで調べたところ「突沸」という状態のようで、これを防ぐために「オート機能による飲料や汁物の加熱はなるべく行わない」なんてありました。でもウチの電子レンジにも温めオートなんて便利な機能があるし、庫内には丁寧にも最適な置き場所を示すコーヒーカップのイラストまであるので何だかなあ~って感じです。まあ今後は自分で時間を指定して温めることにしましょう。

ところで電子レンジで思い出すのはゆで玉子の加熱。昔の日記にも書いたことがあるけれど、コインレストランの自販機で買ったゆで玉子を備え付けの電子レンジで温めたところ「スパーン!!」という大音響と共に爆発しました。それも電子レンジの庫内では無く、殻をむいてかじったワタシの口元でです。おまけに飛び散った黄身がワタシの鼻の穴に入り込み「アチチチチ!!」ってなって、一緒にいた同級生や周りにいたトラッカー達を恐怖のどん底に叩き落としました。

その後この事故を問題視したらしいコインレストラン側では「ゆで玉子を電子レンジにかけると食べられなくなります」って書いた紙をレンジの横に貼りだされましたが、ワタシ的にはちゃんと「爆発します」って書いてほしかったです。時はワタシが運転免許を取った頃の、まだ電子レンジでゆで玉子を加熱した時の危険性が認知されていなかった時代。場所は現在全国でも数少ないカレーの自販機があることで有名になり、Youtubeにも登場する斐川町の「コウラン」です。

虚しいレンジ庫内のイラスト。



2021年1月2日土曜日

いなり寿司を作る

皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もこの日記をよろしくお願いいたします。今年は出雲大社とかで幟を立ち上げる新春行事の「吉兆さん」も中止となったので正月らしくのんびりと過ごしています。ワタシの今年の目標はダイエッ・・いや、できもしないことは言わないでおきましょう。おまけに新年早々食べ物のハナシです。

タイトルのとおり「いなり寿司」を作りました、といってもほぼ市販品で済ませているので大したことではないんですが、以前アゲの良いのを見つけたので今回作ることにしました。アゲを売っているのはいつものコスモスで、ミミちゃんというキャラクターが描かれている何かザイゴげな(田舎っぽい)パッケージなんですが、そのアゲを作っているのは業務用味付け油揚げ国内トップシェアを誇る「オーケー食品工業株式会社」っていうジャスダック上場企業でした。

まあそれは置いといて、実はもともとおつまみ用にここのアゲを買ってみたけれど味が濃くてすごくおいしく、そんならホントにいなり寿司にしてみようと考えました。まずは酢飯ですがこれも混ぜるだけの寿司酢を購入し、炊き立てご飯にこれを混ぜて完成。次にいよいよアゲで包むワケですが、これを紹介するためにこの日記を書いたといっても過言ではないワタシの秘策が登場、それは「ダイソーで買った俵おむすびを作るカタで酢飯を固める」というもので結果は大成功でした。もう嬉しくてカミさんの「そんなもん使わなくても手で簡単にできるよ」っていう心無い一言も耳に入りません。2合分の酢飯の半分はそのまま、もう半分はワタシの好きな刻み紅ショウガを入れて全部で20個ほど作りましたが、もともとアゲそのものがおいしいのでカミさんと二人でペロッとたいらげました。

最後にポイントとして、刻み紅ショウガはアゲの味が濃いので結構いっぱい入れても大丈夫です。それと「俵おむすびのカタを使うことなんか誰だって知ってるよ」っていう場合、今回は実際ワタシ自身が思いついてやったことを喜んで書いただけなのでそこはご容赦ください。

カタはゴハン押し出し用のレバーまで付いています。