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THE VICINITY OF IZUMO

2021年1月20日水曜日

あの時の神戸

そうかあ、阪神・淡路大震災から今月17日でもう26年経つんですねえ。でもあの時のことは今でもハッキリと覚えています。ワタシはまだ転職して東部高等技術校に勤める前で、広島市にある中国JRバス本社の人事課にいました。そして地震によって公共交通機関が壊滅的な被害を受けたので、鉄道代行などの「災害派遣」要請が入り、ワタシは乗務員の勤務調整担当として神戸に赴きました。

出発当日、当時本社の真向かいにあった広島営業所には、各営業所からかき集めた十数台のバスが集結。そして社長をはじめ本社社員総出の出発式が行われた後、ワタシはダイヤを担当する乗合課の課員と共に先頭のバスに同乗して神戸を目指しました。中国自動車道は途中から一般車はシャットアウト、ワタシたちは災害派遣ということでチェッカーズのような髪型をした高速隊の若いお巡りさんが運転するパトカーの先導で進み、西宮北ICから有馬温泉のあたりを超え、物凄いカーブが続く狭い山道を一気に下って神戸入り。そしてそこで見たものは・・・もうひど過ぎて膝が震えました。実際自分の目で見る光景はTVのニュースで間接的に見るのとは全く違っていて、今でも忘れることができません。

バスは崩れ落ちた神戸の街中を進み、障害物をよけながらも集結地点に全車無事到着。その後ワタシはここまで先導してくれたパトカーを見送り、西日本JRバスの担当者との打ち合わせを済ませてから用意してあった宿舎に入りましたが、そこでも度重なる余震で生きた心地がしません。そして一週間程度滞在した後に交代が来たので広島への帰路につきましたが、新幹線も山陽本線も不通のため宝塚線→福知山線→山陰線→播但線と乗り継いでやっとの思いで姫路に到着、そこから新幹線で広島に帰りました。

以上ワタシが阪神・淡路大震災の災害派遣に赴いたハナシですが、その後起こった東日本大震災を始めとする地震やほぼ毎年発生する水害、そしてそれらの災害で今もつらい思いをされている方がおられます。人命が最優先なのはもちろんですが、頑張って建てた家がペシャンコになったり流されたりしたら、ワタシはもうそれだけで立ち直れないかもしれません。

余談・出発式で
ワタクシ災害派遣ということで緊張感を演出する必要があると考え、バスに乗り込む直前に持ってきたヘルメットをかぶり「スーツに黄色いヘルメット」というスタイルで一番前の席に座りました。そして大勢が見送る中を車内からビシッと敬礼して出発したワケですが、神戸から帰ってから聞いたハナシによると、どうもワタシの顔とヘルメットとのバランスが違った意味で絶妙だったらしく、厳粛な雰囲気だった出発式がその後爆笑の渦に包まれたそうです。昨年会ったJRバス島根支店の副支店長さんからもこのハナシが出ましたが、当時彼は他の営業所勤務でその場にはいなかったので案外このことは中国JRバス社内で伝説化しているかも・・・でも決して狙ったワケではありませんよ。

当時のワタシ。今回の内容には場違いだけど、こんな写真しか無いのですみません。