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THE VICINITY OF IZUMO

2024年3月10日日曜日

三次での思い出

昨年10月5日の日記に「国鉄バスに就職した1年目は三次市に住んで営業係をしていた」と書いたんですが今回はそのハナシで、営業係とはズバリ「バスの車掌」です。その頃既にバスはワンマンだったけれど国鉄バスの場合道幅の狭い山間路線などが多く、そこでの安全確認や誘導目的で車掌という仕事が残っていたのです。登竜門と言うワケでは無いけれど、当時国鉄のバス部門に配属された広島県や島根県出身の新規職員は有無を言わさず営業係からスタート、ワタシの場合1年間だけやった後に技術職として岡山へ転勤しましたが数年間やった者もいて、JRバス本社で一緒だった経理課の課員やJRバス島根支店の副支店長なども元々国鉄バス営業係としての同僚でした。

三次地区が受け持つ路線は雲芸線(三次ー出雲)と雲芸南線(三次ー広島)で、特に芸備線に沿った旧道を走る雲芸南線では合併前の安芸高田市から広島市にかけて道幅の狭い所が数か所あり、夜間はバスから降りて手持ちの信号灯を赤にし猛ダッシュ、入ってくるクルマを民家の空きスペースなどに退避させた後、信号灯を青に変えて遠くで待っているバスに合図を送ります。そんな場所で渋滞する国道54号線から迂回してきた大型トラックなどとカチ合うともう大変、場合によっては「下がれ」「そっちが下がれ」とケンカ腰になりますが、紳士的な (チキンな) ワタシは常に丁寧な対応を心掛けていたのでトラックの方も「しゃ~ね~な~」って感じでワリと快く下がってくれてました。後退するトラックを誘導するのも、もちろん車掌の仕事です。

夜間誘導でバスから飛び出した途端そのまま田んぼに落下した同僚もいましたが、ワタシ的に一番大変だったのは雪道でスタックしたトレーラーのため国道54号線の赤名トンネル付近で前に進めなくなったこと。1時間以上経って停滞は解消しましたがどんどん降り積もる雪の中「お客さんもおられるし、こっちまで動けなくなったらどうしよう」とかなり焦りました。

以上思い出をとりとめなく書いてきましたが、現在雲芸南線は広島市郊外までに短縮され早い時点で営業係は廃止、雲芸線も出雲から広島への直通高速バスに置き換えられ、三次駅到着前に広島への乗り継ぎとして車内アナウンスしていた芸備線の「急行ちどり」も今はありません。ワタシ国鉄バス、JRバス、転職して東部高等技術校と渡り歩いてきたけれど、当時でもなかなかお目にかかれないバスの車掌をした1年間を、生涯のうちの「面白い経験をした期間」と位置付けています。

最後に雲芸線、出雲市駅発車直後の車内アナウンスをどうぞ、

「おまたせしました。毎度国鉄バスをご利用くださいまして誠にありがとうございます、
 このクルマは11時45分発、急行便の三次行きです」

「途中市内では、中央病院前、郵便局前、大津小学校前、神立橋の順に停車してまいります」

「なおただいま冷房を使用しております。窓の開放はご遠慮願います」 ってやってました。

当時の出雲市行き急行バスとワタシ。