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THE VICINITY OF IZUMO

2020年6月13日土曜日

有線放送

有線放送といっても店舗に流れるBGMでは無く、地方によくある電話機能と広報機能を併せ持ったネットワークで正確には有線放送電話、大社町では昭和39年から始まりました。これが数年後に無くなるため、希望世帯には早めに出雲市の防災無線機を無償貸与しますという通知が来たので先日申し込みました。ただこの有線放送電話を現在の自宅には引いていないし、それこそ数十年間これとは縁遠い状態です。そこで今回は昔の有線放送電話について覚えていることだけを書いてみます。

①ダイヤル式電話に変わるまでは交換手のオバサンがいた。
受話器を上げると「ハイ」って言われるので「〇〇〇番」と相手先の番号を伝えると繋いでもらえます。ちなみに実家の番号は「220の11」でした。また受話器が外れたままで放置していようものなら「受話器が外れています!架けて下さい!」っていう物凄い剣幕のオバサンの大声がスピーカーから響きます。

②役場のサイレンが鳴ると有線電話の前に集まった。
道路工事の予定からお亡くなりになった方まで日々あらゆる情報が流れてきます。特に火事で大社町役場の屋上にあるサイレンが繰り返し鳴ると、消防署につながった有線放送からの情報を聞くために家族が電話の前に集まります。以下出雲弁がキツイ消防署員による放送の様子です。

2分ほど前から「ブー(放送設備のノイズ)」突然「ガチャッ!(マイクが入る音)」その後電話のベルや椅子の軋み音など慌ただしい消防署内の音が聞こえだします。そして「入っちょーますか?(マイクが入ってますか?)いいですかいね?」割れた音で「ガンガンガンガーン!(ドミソド)」「ショーボーショからお知らせすます。ただいまの火事は〇〇町内のモリヤマナオキッツアン(仮名)のお宅でしたが無事鎮火すますたのでお知らせすます」「ガンガンガンガーン!(ドソミド)」しばらく「ブー」突然「ボッ!(放送設備の電源を切る音)」って感じでした。

③朝の放送は録音だった。
夜中の12時ごろ突然「みなさんおはようございます、朝の有線放送の時間です」って流れてその後もろもろの情報。要するに録音した音声を朝6時に流すはずが、タイマーのセットミスで深夜に流してしまったんですね。ほとんどの大社町民は有線放送に対して「毎朝お疲れ様です」という感謝の念を抱いていたんですが、この件以来有線放送への敬意と信頼が薄らいだのは言うまでもありません。

④その他
・「あ~さ~の~ひかり~が~さ~し~て~ます~」という何とも言えない有線放送の歌があった。
・TVで全日本有線放送大賞が放送開始されたとき、この有線放送が何のことかわからなかった。
・大社消防署に初めて救急車が導入されたとき、周知のためピーポー音がしつこく流された。

現在大社町の有線放送電話は「ご縁ネット」というネーミングで回線を使ったインターネットサービスまでしています。これが数年後に無くなる理由はわかりませんが、多分ネットやスマホの普及で有線放送電話の利便性が薄らぎ、加入者も減ってきたんでしょう。内容は変われど今も大社町民にいろいろな情報を流している有線放送電話、後数年ありますが50年以上の長きに渡り本当にお疲れさまでした。

100満ボルトの前の用水路に、デカい野良鯉がいました。