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THE VICINITY OF IZUMO

2025年7月11日金曜日

熱くてイヤな思い出

いや~しかし暑い毎日、熱中症警戒アラートもしょっちゅう出ていますね。雨も降らないので出雲の水がめ「尾原ダム」の貯水率も64パーセント台となり、既に放水量の調整が始まっています。水曜日の夕方には遠くで雷鳴が轟いていたのでひと雨来るかとおもいきや、スズメどころかミミズの涙ほどパラパラっと降って終わりました。おまけにワタシ、先月6日の日記に書いた「前歯」もまだ出来ていないので、外出時には息苦しいマスク必須なのです。

ところでこの時期よく言われるのが「昔の夏はもっと過ごしやすかった」っていうやつ。まあ確かにそうなんだけど、ただこれを聞くたびに「暑い」を通り越して「熱い」と感じてしまったほどのイヤな思い出が蘇るので「いやいや、昔だって今ぐらい暑い日はあったよ」って思ってしまいます。

それはまだワタシが小学2年生の時のこと。通っていた小学校で学年指定の「体育の公開授業全国大会」が行われることになり、2学年も指定されたのです。授業の内容は「対立ボールけり」っていう何ともモヤモヤするネーミングのうえにしょうもない内容。全国から教員が視察に来るワケで当然それに向けて練習をするんですが、その公開授業があるのは何と夏休みの最中。おまけにその当時の担任はワタシの歴代担任の中で最も暴力的なオバサン先生で、今なら懲戒処分レベルの人でした。

そしてその人のもと、夏休み返上で連日練習にあけくれたワケですが、TVのニュースにもなるということで何とか良いところを見せたかったらしくその練習の厳しいこと。まだ小学2年生のいたいけな子供達が長時間炎天下の校庭で笛の合図に合わせて列になったり走ったりで、日射病(現在の熱中症)で倒れる者がいなかったのが不思議なくらい、今の時代そんなことをしたら絶対に保護者からクレームの嵐どころかそれこそニュースものでしょう。立っている場所から十数メートル離れたところに木陰があり「今すぐあの木陰に駆け込んでいきたい」って衝動に幾度駆られたことか。

何とも辛かったこの公開授業についてはまだ言いたいことがいろいろあるけれど、書いているうちに身も心も熱くなってきたのでこの辺でヤメておきます。それにしても昭和の時代って結構無茶なことをしていたけれど世の中捨てたもんでもなく、その後3年生になった時の担任の先生はそれまでとは雲泥の差、ピアノが上手なうえ優しい天使のような人で心底嬉しかったです。あとこの公開授業はあれから数十年経った現在でもあるようだけど開催時期は10月、そりゃそうでしょう。

次回は真夏の肉体労働ではあったけれど、今回書いた内容とは真逆のかなり快適なアルバイトをしたことについて書きたいと思います。

以前紹介したラディシュの収穫を終えたプランターに勝手に生えてきたペティトマト、今ではこんな感じになってどんどん収穫できてます。多分ホームセンターで買った「野菜の土」にタネが混じっていたんでしょう。